関門海峡人道トンネルを往復し、ジョギングで門司区田野浦地区へ。
田野浦の歴史は古く、平安時代から1,000年以上の歴史がある街でした。
江戸時代に入ると海運で栄え、1751年頃には北前船及び諸船の田野浦入港が頻繁になり、年間1,000艘を超える船が寄港したそうです。
1789年頃は田野浦が脚光を浴びた最盛期で問屋、船宿等が数十軒、造り酒屋が3軒、風呂屋4軒、遊女屋も3軒あったそうです。
1872年(明治5年)には田野浦小学校が開校。
校庭の大木は樹齢100年を超えるユーカリの木だそうです。
昭和40年代以降は西日本初のコンテナターミナルの埠頭ができ西日本の物流基地としての役割を担っています。
平成16年からは中古自動車の輸出基地として、
平成19年からは国際ROROターミナルとしても利用されています。
また西日本一円の青果物の輸入基地でもあるそうです。
一方で昔ながらの街並みが残っており、とても“穏やかな空気”が流れている街でした。